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平成12年(2000年)
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    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    20世紀とはいつまでなのかということが議論されたことを思い出す。

    物事は1から始まるもの。1901年から20世紀が始まるので、2000年までが20世紀だというのが答えだったのだが、気の早いものは1999年で区切りが付いたと理解して早めに切りを付けたかたも多かった。ともかく20世紀が終了ということで、1999年とともにそわそわした年であった。

    九州沖縄サミットが行われたが、沖縄問題に力を注いでいた小渕首相が病に倒れて、後任には密室のなかで森首相に裁定された。この決め方やその後のリーダーシップ発揮なども含めて、政治的迷走に拍車がかかったように感じる。

    首里城を冠した2000円札が発行されるなどしたが、具体的な成果よりはセレモニー的になってしまったサミットでもあった。20世紀医の後半から21世紀の初頭は、国際的な協調体制というより巨大勢力としての米国中心世界であることの認識が深まったと言えよう。

    米国では大統領選挙が行われたが、ブッシュとゴアの歴史的な僅差の勝利であった。この法律判断は、いかにもの米国司法判断で、数え直しの方法や権利などを巡っての対決となった。法律の解釈ということでは非常に面白く、数字をこえるところでの解釈論に興味を抱いた。

    さてシドニーオリンピック(夏)の年でもあった。柔道の田村亮子・盒蕎飴劼金。女性が活躍する時代の到来を感じさせた。

    ヤフーの株価が1億円を超えた。携帯電話の保有率が高まりiモード含めて、ITについて関心が深かったのがこの年だ。

    大規模小売店舗立地法が改正された。その後の量販店・小売りに大きな影響を与えている。ユニクロが人気となり、年の終わりごろからは、子ども大人含めてフリースという素材にはじめて触れて驚いた。それは安値と品質についてであった。ファッションがファストファッションに移っていく年である。同時に百貨店のそごうが破綻し、多くの店が閉店に追い込まれた。流通の転換点であった。

    いくつかの保険会社が破綻している。バブルの崩壊の影響は、不動産・金融に大きな打撃を与えたが、保険会社も同様であった。支払いが後払いになるため、なんとか数年もったが結局不動産市況・株式市場の悪化が対策を無に帰した。

    バブルの崩壊後の対策としては、資産見直し、人件費の見直しであったが、それらは今までの経営の否定であり、なんともくるしいものであった。

    有珠山・三宅島の噴火・東海地方の集中豪雨などの天変地異が発生している。

    個人的には人事関連の本を数冊出版しているし、大学院でリカレントしている。またインターネット起業のお手伝いをしている。 情報交換会などを主催したり、人と関わりを持ったりアクティブに活動していた年である。

    | HIRO | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
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