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平成7年(1995年)
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    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    なんとも陰鬱な平成7年(1995年)であった。

    年明けの117日。まだ年賀気分がすこし残っていた日。成人式明け(成人式が1月15日と日にち固定していた時代)の早朝に阪神淡路大震災が発生した。6000名もの人が亡くなり、阪神地区・淡路島などでは大きな被害となった。地震に対する備えを全くといっていいくらいしていなかったため、甚大な被害となった。

     

    現職の警察庁長官が狙撃されたあと、東京の官庁街で毒薬サリンが散布され犠牲者がでた。オウム事件である。富士山麓の拠点を捜査し、多くの関係者を拘束。その後、およそ25年ほど掛けて、法治国家として関係者を裁いていったこととなる。

     

    地震や一連のオウム事件でも、政治の不在が大きく影響をしている。とくに意思決定できない政治家達に不安を感じていた。そして、なにが起こるかしれないという恐怖心と不安感が渦巻いていたのがこの時期である。

     

    Windows95が発売され、長蛇の列が家電量販店にできたのは、初期のiphone販売の狂騒と似ていた。パソコンさえあれば何でも出来ると感じた時代であった。テレホーダイのサービスが開始された。ネットの繋ぐことは費用がかかったのだ。電話代は3分10円であった。個人でネットに繋いで、10万円以上も課金されたという話が持ちきりだった。

    携帯電話が普及しておらず、ネットは高嶺の花であるし手間がかかった。ごく一部の人だけしか、パソコンを保有しようとしない時代であった。

     

    経済面では円高が進行し80円を超えた。海外で稼ぐということができず、国内は経済が破綻常態となって、二進も三進もいかないことが明かな時代であった。つぶれることなどないと思われていた金融機関が倒産するという現実に直面した。兵庫銀行・木津信用金庫が破綻。またノンバンクの破綻も相次いだ。住専問題などが経済の足をひっぱった。

    本来ならば新しいものを生み出す時代であるのであろうが、不安感、明日をも知れない時代であったし、リストラや海外への工場移転などが現実のものとなり、資産バランスの見直しをすすめなければならないが、それは組織の抵抗に向き合わざるを得ない。就職氷河期となっていった。

     

    400万部の販売を誇った少年ジャンプの人気漫画ドラゴンボールが終了した。世の中では安室ちゃんが人気となり、厚底靴・ルーズソックスのアムラ−が登場しつつあった。サブカルが流行。世の中が退廃しているかのことを感じさせた。

    | HIRO | 09:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
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