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平成2年
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    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    平成2年はなにかと慌ただしい時期であった。

     

    前年には、新天皇即位礼で国内外へのでお披露目があり、また大嘗祭も滞りなく行われたことで、喪に服する時期から晴れやかな気持ちになっていったのが平成2年だったろうか。年賀状も謹賀新年やおめでとうという言葉を使えるようになったことで、心が晴れやかになったことを覚えている。

     

    この年には、 国外ではソ連の崩壊が近づきつつあり、米国が唯一の超大国として君臨しつつある時期であった。統一ドイツが誕生するなど、世界の枠組みが変化して、ヨーロッパを中心に落ち着きどころを探る動きがあった。その中でも、東西対立から宗教あるいはイデオロギー対立もしくはエネルギー対立とでもいうべき、変化が世界の国境を変化させつつあった。

     

    バブルと思わないバブルがじわりと進む中で、まだ不動産価格が高騰していた。うすうす感じていた終わりの時までに稼ごうという動きがあり、だれが最後の損をかぶるのか。押し付け合いのような、最後の悪あがきが行われていた。ゴルフ場の開発などもまだ盛んで、何のゆかりもない会社が金融機関から積極的に借入を行い、財テクに精を出していた。

     

    日銀総裁三重野康氏は平成の鬼平と呼ばれ、不動産投機への対策を行っていった。平成元年には2.5%だった公定歩合を8月には6%までに上昇させた。さすがに不動産への投機の動きも収まったのだが、日経平均株価は10月には年初から約半分の2万円切りとなり、昭和60年頃から続いた株高分が帳消しとなった。

     

    太陽神戸銀行と三井銀行が合併するなど、都市銀行でも規模拡大を行わないと生き残りが出来ないという危機感が如実に表れた時期でもある。国外への輸出から国内の需要喚起という目的で1985年頃から取り組まれた内需拡大策の問題と限界が明らかになった時期である。

     

    それでも、まだ巨大な設備投資意欲は高く、構造改革という意味では製鉄所の跡地利用として注目を集めた北九州のスペースワールドが開場し、海岸地の有効活用ということでは大阪海遊館が誕生している。また大阪花博が開催されている。

     

    1月にはそれまでの共通一次試験からセンター試験へかわり、大学のあり方にも変化が生まれ、現在の改革の芽が芽生えていた。スーファミの登場。そしてちびまる子ちゃんが大人気となり、ピーひゃらぴーひゃら、まだ世の中は浮かれていた。

     

    我が事では、埼玉県にあった研修施設で、3ヶ月ほどの社内合宿研修を受講したのが思い出である。

    | HIRO | 08:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
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